僕は格ゲーをやめることにした

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僕と格ゲーの出会い

もう十数年も昔、僕が中学生の時のこと。
地元(神奈川の端っこの田舎)に小さなゲーセンがあって、そこに僕はよく遊びに行っていた。当時中学生の溜まり場になっていたそこで、僕は格ゲーに出会い、腕を磨いた。そしてある日のこと。「ゆきみつ(僕)を倒そう」ということになり、その場にいた者たちが団結して僕に対戦を挑んできた。そして挑んできた対戦者たちを僕は何度となく討ち果たし、50連勝した。これはちょっとした事件となり、僕の数少ない愉悦の思い出として深く心に刻まれた。

ゲーセン人気が廃れ、その流れで地元のゲーセンも潰れて、さらに数年が過ぎた頃。
僕は有名なウメハラ氏の動画を見たのをきっかけに、また格ゲーをやりだした。
選んだタイトルはストリートファイター3 3rd strike。
対人戦はみんな強すぎて、初めはまったく勝てなかった。それでもやっていくうちに少しずつ強くなっていった。

楽しかった。

昔は格ゲーに限らず、ゲーム全般大好きだった。だが大人になってからは寝るのも忘れてプレイしていた、あれほど好きだったゲームをとんとやらなくなっていた。
もう、ゲームが楽しめる人間ではなくなってしまったのかと自分を寂しく感じていた。
だから、ゲームをして、楽しい、と感じられることが、とても嬉しかった。

僕は腕を磨き、ちょっとずつ勝てるようになり、それから8年、僕はこのゲーム1本をほぼ毎日やり続けた。

ストレスとの戦い

しょせんゲーム。されど格ゲーは勝負の世界だ。負けても楽しい、なんてことはあり得ない。勝てばドーパミンが溢れるほど嬉しいが、負けると強烈なストレスを感じた。何度かは衝動的に叫んでしまったほどである。
そのストレスはとても耐え難いものであった。

僕には見えない世界

「人間性能」、という言葉が格ゲーの世界ではよく使われる。手の器用さと「反応」と呼ばれる反射速度、ゲームセンスといった、プレイヤーが持つ能力の総称である。
その人間性能が、僕は凡人だった。
反射速度には特に悩まされた。特定のアクションが画面に映し出された0.2秒以内に反応してボタンを押すなんてこと、なかなかできることではない。
ケンの中パン確認が僕の限界。中足確認はついにできなかった。

スト5の発売

僕には見えない世界があることを知り、己の能力の限界を思い知った。
それでも僕は格ゲーを続けた。なぜならゲームだから。どうしても勝てない相手はいるけど努力の甲斐あってそこそこ勝てるようにはなった。少しでも楽しいなら続ける価値は十分にあったのだ。
しかし、年々プレイヤーの数は減っていった。スト4が発売されてからもかなりの年月が過ぎていた最中、僕がやっていたのはスト3。
対戦相手が見つからないことも多くなり、オンライン上には潮時の空気が漂っていた。
そんな折、ついに発売が決定したシリーズの最新作、ストリートファイター5。各方面で大々的に話題となり、スト4の参入時期を逸していた僕も今度はばっちり発売初期からやり込んでやろうとソフト発売の3ヶ月前からPS4と3万円もするアケコンを購入、準備を万端に整え、やる気満々でその時を待っていた。
そして今年の2月、満を持してスト5発売。
しかし――

僕はそっとアケコンを置いた

スト5を起動して、1時間もプレイしないうちに、僕は自分が急速に冷めていくのを感じた。
別にゲームの出来が悪いとかそういうことではない。むしろ僕はゲームそのものには満足していた。僕が大好きなケンがさらにかっこよくなってたし。
だからこれは僕個人の問題で、僕が冷めてしまっただけで――
ふと、考えてしまったのだ。

これをまた0からやるのか、と。

格ゲーは人間性能もさることながら、知識も多く必要とされるゲームである。
キャラは十数人はくだらない。これからまたその全ての技を覚えて、コンボを練習して対策を立てて。
バージョンアップもあるだろう。仕様変更とキャラの増加に対応して。
時間がいくらあっても足りない。そしてそれだけの労力を費やして得られるものは強烈なストレスとほんの一時の快楽……
僕はそう考えた時点で、力尽きていた。

さいごに

格ゲーは楽しかった。
8年で失ったものもあったが、得られたものはそれ以上に大きかったと思う。だからこれにハマったことに後悔はまったくない。
しかしこれ以上は蛇足だと感じた。蛇足でもゲームなんだからいいじゃんと思う、思うが、僕は去ることにした。

楽しかった、本当に。
今までありがとう。
格ゲーは最高のゲームです。