俺は作家になれないと悟り、諦めたら物凄く楽になった

何かを生み出したい。
クリエイターになりたい。
漫画でも小説でもいい。
自分の考えた物語をみんなに見てもらって、評価されて、それで生きていけたら最高だ。
そんな想いを抱いて作家を志したことがある人は多いと思う。
もしかしたら誰しもが一度は、と思うほど。

かくいう俺も作家になることを夢見たことがあった。10年ほど前、テキストサイトを造り、有名になるほどではないがそこそこに評価されて「俺には文才がある」などと思ってしまったのがきっかけだ。
勘違いも甚だしかった。

俺は20代前半の三年間を小説を書くことに費やし、出版社の小説大賞に応募したりもしたが、箸にも棒にもかからず仕舞い。
しかし熱は冷めずに歳を重ね、物語を考える妄想をやめることはなかった。

そして32才の去年。ふと、コレいけるんじゃいないか? とネタが浮かび、数年ぶりに小説を書いた。

最初はよかった。なろう系ではないが小説家になろうに投稿して一時ではあるがランキング1位になった。楽しかった。けど、すぐに気づいた。

俺は作家にはなれない。

他の評価されている作品と比べて、足りないものがハッキリと見えてしまった。
それは、能力の限界だった。
努力ではどうにもできない壁。
自分が劣る者であると認識し、俺は小説を書くことをやめた。
作家の道を諦めた。

悲しかったし、少し絶望した。でも、楽になった。作家になれないのなら物語を考えても意味がない。つまり、「もう、物語を考えなくてもいいんだ」と、そう思えたからだ。
何年も四六時中頭にべったりとへばりついて離れなかった物語の妄想という枷から、解放されたのだ。

正直、苦しいと感じていた、人生の重りからの解放。

小説も漫画も、俺は大好きだ。それは作家の道を諦めた今も何ら変わることはない。
わざわざ俺が生み出さなくても、世の中には面白い作品が溢れてるし、これからも生み出され続けるだろう。俺はそれらに触れるだけで満足だ。
生み出すことにはまた違う面白さ、楽しさがあるのだろうが。

こうなってから気づいた。
俺はそもそも、書くよりも読む方が楽しかったのだ。
自分で造り出すことよりも、読む側でいた方が楽しいし、気持ちも楽だ。
これは負け惜しみか? と自分に問うも、そうではないと思う。俺に作家業は向かない。クリエイター作業には、喜びよりも苦行であることの辛さが上回る。

もう二度と、俺は小説を書かない。